院長紹介


           院長プロフィール             

院長  カイロクリニカルオフィス
  センジュラク(千手楽)

Chiropractic Clinical office Senjuraku

  代表 佐久眞 正弘(さくま まさひろ)  

      

沖縄県出身。

京都工芸繊維大学工芸学部卒。

金沢大学医学部大学院医学系研究科修了(保健学専攻)

 

大学卒業後、半導体を主力とする会社に2年間勤務。

会社退職後、医療学校に通い国家資格(臨床検査技師)を取得。

石川県内の大学病院に医療従事者として23年間勤務。

大学病院退職後、大学医学部教員(代替基礎医学)として2年間勤務。

大学在職中にカイロプラクティックの民間資格を取得。

教員を退職後、先輩のカイロプラクティック施術院などで修行を積む。

2011年に金沢市内に施術院『カイロプラクティックオフィス サンテ・クレエ』をオープン。

父が亡くなったのを機に、店舗移転のため施術院を閉院し、2015年11月に沖縄に転居。

移転を機に施術院名を『カイロクリニカルオフィス センジュラク(千手楽)』に改め、2016年1月に那覇市内にオープン。

 

【資格など】

骨格の歪みなどが原因で起こる身体の様々な不調をカイロプラクティック&整体療法などにより改善するカイロプラクター(上級カイロプラクター&優秀カイロプラクター合格、日本カイロプラクティック連合会会員)。

健康管理士一般指導員&健康管理能力検定1級

 

             少年時代              

父が重機運転業で母が主婦の長男として那覇市内で生まれました。

その後、弟(2人)や妹(2人)が生まれました。

小さい頃は体があまり丈夫ではなかったらしく、母に時々病院へ連れられて行った記憶があります。

小学生のころは野球をして遊んだりしていました。

中学1年生の頃にそろばん教室に通っていて、準1級まで行ったのですが、その後通うのをやめてしまいました。

通貨は、円ではなくまだドルを使っていました(1972年5月15日にドルから円に変更になった)。

高校には自宅から毎日30分くらい歩いて通っていました。

 

             大学時代              

大学時代は、京都で過ごし、大学が目の前に見えるところで下宿をしていました。

大家さんの敷地の中にあるプレハブの一人部屋に住んでいました。

近くに宝が池公園というのがあり、そこで時々走ったり、運動不足だった体を鍛えていました。

たまに友人と、比叡山に登ったり鞍馬寺に行って遊んだりしました。 

大学卒業

大学卒業時↑

 

          大学病院勤務時代            

大学卒業後、半導体を主力とする関西の会社に就職しましたが、会社を2年で退職後、医療の資格を取得するため医療学校に通いました。

国家試験(臨床検査技師)に合格し、29歳のときに石川県内の大学病院に就職しました。

大学病院に勤めてから町のテニスサークルに入り、テニスを始めました。

練習や試合に参加したりしていました。

テニス

テニスが趣味

 

以前、飛騨山脈(北アルプス)の白馬岳(標高2.932m)に登った時の感動が忘れられなくて、「また登ってみたい」 と思い、いつか有名な槍ヶ岳に登りたいと思っていましたが、 意を決して単独登頂にチャレンジしました。

下の写真は飛騨山脈(北アルプス)の槍ヶ岳(標高3.180m)の山頂近くにある山小屋で宿泊した時のものです。

この時は2泊3日の予定で登山しましたが、あまり天気が良くなく、雨模様の中、視界が悪く前もほとんど見えないような状況でした。

でも、山頂に着いたら急に天気がよくなって、山頂からは360度素晴らしい景色が見渡せ、とても感動しましたね。

山頂へは2泊かけ、山下りはその日の内に走り転げ落ちるように下りきりました(笑)。

麓から山頂までは、約20キロくらいの距離があったと思いますが、途中で何度も引き返そうかと思うくらい、歩くのが辛かったです。

でも、ここで引き返すと後悔しそうだったので、最後まで頑張ろうと思いました。

おかげで、無事山頂までいけて、登頂成功しました。 山頂に登った時の感動は大きかったですね。

※槍ヶ岳⇒日本で5番目に高い山

槍岳山荘

 

槍ヶ岳山頂の山小屋にて

 槍ヶ岳登頂のとき泊まった山小屋にて↑

   

下の写真は白馬岳に登った時のもの。

白馬岳頂上に立つ

白馬岳頂上にて

 

         金沢大学医学部大学院で学ぶ           

私は、大学病院に勤めているときに、臨床検査の仕事をするうえで検査学や免疫学をもっと深く学ぶ必要性を感じました。

この写真は、医学部大学院(医学系研究科保健学専攻)に合格し、入学して初日に大学の門の前で撮影したときのものです。

働きながら大学院に通うのはけっして楽なことではありませんでし たが、レポートなどの課題を一つひとつこなしながら、夜遅くまで 課題研究に取り組んだり、論文を書くのに苦しんだりしながらも、 とても充実した日々を過ごせたと思います。 

金沢大学医学部大学院

大学院に通う

 

         大学医学部教員時代            

これは大学医学部教員時代、教室のメンバーと共に撮った写真です(右から2番目が私です)。

仕事は、研究が中心でしたが、医学部の学生にも教えていた時期でもあります。

研究のために実験を行って、研究結果を学会で発表したり論文にまとめたりと、とても忙しかった記憶があります。

またこの頃は、仕事で山梨・関東方面・東北方面へ行ったりと、車での出張が何度もありました。

移動距離が長いので、途中で温泉に入ったりしましたね。

おかげでいろいろな温泉に入りました(笑)。

大学教員時代

 

大学教員時代・研究発表

研究発表

 

       カイロプラクター時代            

大学医学部に教員として在職中にカイロプラクティックの資格を取得し、カイロプラクターとなりました。

最初の頃は、まだ技術的にも未熟で、早く一人前のカイロプラクターになるために、先輩の施術院で修行を重ねる毎日でした。

他の先生の身体を借りて練習をしたり、勉強会などで講師の先生から新しい知識や技術を学んだりと、毎日が勉強でした。

2011年夏に金沢市内に施術院を初めてオープンし、独立開業を果たしました。

最初の施術院オープン

施術院を金沢市内に初オープン↑

 

下の写真は、日本カイロプラクティック連合会のブラサード会長の来日特別勉強会に参加したときのものです。

ブラサード会長や講師のイベット・ナドウDCとのツーショットです。

ブラサード会長との写真

ブラサード会長と共に

 

イベット・ナドウDCとの記念写真

イベット・ナドウDCと共に

 

            院長について              

【星座】天秤座
【理念】関わる全ての人に健康と感動の輪を広げ、
明るく元気な社会創出に貢献すること
【ハマっているもの】iPad、手作りの生野菜ジュース
【一つだけ願いが叶うとしたら?】宇宙旅行
【好きな食べ物】寿司、野菜の炒めもの、麺類、カレーライス、
フルーツ
【好きなスポーツ】テニス、フィギアスケート、ベースボール
【趣味】テニス、スポーツ観戦、好きな音楽を聴くこと
【子供の頃なりたかった職業】科学者
【デートでいきたいところ】ディズニーランド

 

           院長インタビュー             

院長インタビュー

佐久眞院長が、施術院を始めたいきさつ、こだわりなどについてのインタビューを受けました。

        今のお仕事を始める前の状況         

 Q  今のお仕事を始める前は何をしていたのですか?

院長の想い A  現在の仕事の前は、医療従事者や教員をしていました。  

高校卒業の頃は、エンジニアの道を目指し、理系の大学に
入学しました。

私の子供の頃の夢は、科学者かエンジニアでした。

航空機やロボットなど最先端の機械を作る仕事への憧れがありました。

大学卒業後、第1希望ではなかったのですが、半導体メーカーに就職しました。

機器製造部に配属となり、家庭用電気サウナ(1人用~数人用)や太陽熱温水器などの開発やメンテナンスなどに携わっておりました。

しかし、自分の目指す方向との違いに悩むようになり、2年で会社を辞めることになりました。

仕事への情熱が薄れていくにつれ、医療関係の仕事に興味を持つようになり、国家資格を取得することを目指すようになりました。 

 Q  どうして仕事への情熱が感じられなくなったのですか?

 A  会社の仕事は、自分が目指す方向とのギャップを感じてしまい、将来への希望があまり感じられなくなりました。

医療へ方向転換したのは、大学時代から工学と医学を融合した仕事をしてみたいという気持ちがありましたが、就職したのが自分の希望とは少し離れた会社になってしまったことです。

会社では家庭用電気サウナなどを製造していましたので、家庭用サウナが人体に及ぼす影響や効果については興味を持っていました。

医療の世界で大学で学んだ専門性を活かしてみたいと考えるようになったのです。

医療の世界で働くには国家資格が必要でした。

いろいろ調べているうちに、血液などを精密機器で分析したり心電図や脳波などを調べて病気を見つけたりする臨床検査に興味を持つようになりました。

      人生観が変わった転職:大学病院勤務       

 Q  大学病院では、どのような仕事をしていたのですか? 

院長の想い2

 A  29歳の時に石川県内の大学病院に就職し、最初は血液の臨床研究室で免疫細胞などを調べる仕事に従事していました。

時々、研究内容を学会で発表したりしました。

所属学会の認定資格(サイトメトリー技術者やHLA検査技術者)なども取得しました。

大学病院での主な仕事は、白血病や悪性リンパ腫などの血液の病気を調べたり、腎臓などの臓器移植に関する検査(組織適合性検査)などが中心でした。

組織適合性検査とは、心臓死または脳死からの臓器提供者(ドナー)と移植を受ける者(レシピエント)との間で移植に適するかどうかを調べる検査です。

判定には、白血球のHLA型(血清型とDNA型)やクロスマッチテストを行います。

その他、臨床検査として、生化学的検査・血液検査・尿検査・輸血検査・細菌検査なども行っていました。 

       患者の辛さを体験した手術と入院        

 Q  どのような症状で手術と入院をしたのですか? 

 A  40歳を前に子供のころからの耳の病気で手術・入院を経験しました。

これは、赤ちゃんの頃に耳の病気になったと母親から聞きましたが、大人になっても片方の耳に時々症状が出て、相手の話し声が聞こえにくかったり、集中力もなくなったりしましたので、このまま放置するとひどくなると医者から手術を勧められ、手術をすることにしました。

手術後全身麻酔から覚めた時、ベッドの上でしばらくは体が思うように動かせず、苦しい思いをしました。

全身麻酔は体力の消耗が激しく、麻酔から覚めても点滴や尿を出すための管でつながれていて、手術後に傷口からの感染症の恐れもあるため、ベッドから離れて歩くことができませんでした。

数日間はベッドの上での生活が続き、辛い思いをしたのです。  

1ヶ月近くも入院しましたが、健康のありがたさというものをあらためて知り、患者様の痛みや辛さも少しは理解できたように思います。 

      「なぜ、病気になるのか知りたい…」       
       働きながら医学部大学院へ進学         

 Q  働きながらも大学院へ進んだ理由を教えてください

 A  なぜ病気になるのだろう、その仕組みは免疫と深い関係があることがわかり、人体の不思議さを知るうちに、さらに深く学びたいという思いが強くなり、医学部大学院にも進学しました。

大学院では感染免疫制御機構学、感染症原因子学、臨床血液病態学、腫瘍病理発生学、医用検査科学、応用数理解析学、医療経済学、福祉行政学、臨床心理学などの講義や演習で専門知識を学びました。

課題研究では、1型糖尿病の発症におけるT細胞の関与について調べ、第3相補性決定部位(CDR3)の解析法を用いて、実際の1型糖尿病患者のサンプルについて病態解析を行いました。

1型糖尿病は、膵β細胞の破壊によるインスリンの欠乏によって生じる自己免疫性の疾患で、若年者に多く発症します。

研究は第52回日本臨床検査医学会総会で発表し、座長推薦により研究論文としてまとめ、学会誌(臨床病理)に投稿、掲載されました(平成19年2月)。  

 Q  仕事は順調だったのですか?

 A  一方で、職場での人間関係に苦しんだ時期もありました。

大学病院勤務時代に途中で部署の配置換えがありましたが、新しい 部署で一部の同僚や上司との考え方などの違いなどから少し距離を置くようになり、コミュニケーションが取りづらくなったことがありました。  

ストレスからか、一時は体調を崩してしまい、肺炎になったこともありました。

その時感じたのは、自分自身が精神的にも肉体的にも良好でない状態では患者さんも良くすることはけっしてできないのではないか、という思いでした。

そして、患者さんやまわりの人も幸せにするためには自分自身もまず幸せと思える自分になる必要がある、と思うようになりました。 

       「自分の可能性を伸ばしたい…」         
       次、選んだ道は大学医学部の教員         

 Q  大学医学部の教員時代は、どのような仕事をしていましたか?

 A  大学病院は約23年間勤めた後退職することになりましたが、大学医学部の教員として再勤務することになりました。

病院退職の理由は、仕事を続けるよりもあらたな方向で自分の可能性を伸ばしたいと思うようになったからでした。

相談をした学内の先生の紹介により、県外の健康食品関連会社の研究施設へ行く予定で話が進みましたが、その後会社側の事情で話はまとまりませんでした。

大学病院を退職後、医学部(代替医学)の教員として採用されることになりました。

教員時代は、温泉や鍼などの代替医療や免疫の研究などを行いましたが、学会から研究奨励賞をいただいたこともあります。

主な研究内容は、温泉や鍼治療の身体への影響(効果)を神経系・ 内分泌系・免疫系から検討するというものでした。

血液中の免疫細胞の量的・質的変化、 血中ホルモン濃度の変化、光トポグラフィーによる脳機能の変化などを調べました。

鍼治療については、日本、中国、韓国の三カ国の鍼の効果についても比較を行いました。

研究奨励賞として、私が日本サイトメトリー 学会学術集会で発表した『鍼治療の細胞内サイトカインおよび血中ホルモンへの影響』という演題が選ばれ、 後に論文として学術誌(CYTOMETRYRESEARCH)にも掲載されました。 

        カイロプラクティックとの出会い         

 Q  カイロプラクティックを始めたきっかけは?

 A  カイロプラクティックに初めて出会ったのはそのような時でした。

ある時、私は自分の写っている写真を見て、正面を向いて立っている姿勢がまっすぐでないのに気が付きました。

それからはなぜいつも姿勢がまっすぐでないのだろうといつも思っていました。

姿勢を直したいと思うようになり、たまたま情報誌で見かけたカイロプラクティック体験施術を受けてみました。

その時、骨盤や背骨の歪みが引き起こす病気が意外に多いことがわかり、興味を持つようになりました。

技術を覚え、自分の身体を良くするためだけでなく、骨盤や背骨の歪みが原因かもしれない様々な症状で困っている人をできれば助けてあげたいと思うようになりました。

それがカイロプラクティックを始めるきっかけとなりました。 

 Q  カイロプラクティックの資格などはあるのですか?

 A  その後、全国健康生活普及会(全健会)主催、日本カイロプラクティック連合会後援のカイロプラクティック 事業セミナーを受講、資格試験に合格しました。

そして、日本カイロプラク ティック連合会の正会員、NPO法人日本カイロプラクティック教育諮問委員会正会員となりました。

私は、上級カイロプラクティック試験、その上の優秀試験にも合格し、総合指導士として認定を受けました。

NPO法人日本カイロプラクティック教育諮問委員会(JCCE) 免許は、更新制のため毎年試験があります。

また、健康管理士一般指導員の試験にも1回で合格しました。

それは、特定非営利活動法人の日本成人病予防協会および財団法人生涯学習開発財団が進める生活習慣病予防と健康管理指導のための資格試験です。

このような資格を取得することで、健康に関する基礎知識が増え、カイロプラクティック業を行う上でも役に立つので、日本カイロプラクティック連合会からもなるべく取得するよう勧められています。

     カイロプラクティックで人助けをしたいと決意      

 Q  カイロプラクティックを職業にしようと思ったきっかけは?

 A  医学部教員在職中に、先輩先生の施術院で患者さんに施術を行いながら修行を積み重ねていましたが、退職をきっかけにカイロプラクティック業を本格的に始めることにしました。  

私は、これまで母が長年膝の痛みや腰痛で辛そうにしているのをいつも見ていました。

この頃、両親とは遠く離れ離れで暮らしていたため、これまでは何とかしてあげたいと思ってもどうすることもできず、もう高齢だから仕方がないと半ば諦め、ただ見守るしかありませんでした。  

私は、カイロプラクティック業を始めてから久し振りに帰省した際に、カイロプラクティックで母の膝の痛みと腰痛を何とか良くすることができないか試してみることにし、数日間施術をしてみました。

後日母に電話でその後の様子を尋ねると、膝の痛みはまだ残るものの腰痛の方はあまり感じなくなったと喜んだ声を聞いた瞬間、私は嬉しさが込み上げてくるのを覚えました。

これをきっかけに自信のようなものが芽生え、母のように困っている人を自分の技術でも助けることができるのだと思えるようになりました。  

その後、思いを実現するため独立開業することになり、 2011年の夏、初めての施術院を金沢市内にオープンしました。 

            私の想い               

 Q  カイロプラクティックを通して、どうしたいですか?

 A  私のミッションは、「関わる全ての人に健康と感動の輪を広げ、明るく元気な社会創出に貢献すること」です。

この地球上には現在約70億の人々が住んでいるといわれますが、 一生の間に出会うのはその内のごく僅かでしょう。

一生出会うこともない人の方が圧倒的に多いのです。

出会ったのは偶然かもしれませんが、よくぞ出会ってくれましたと言ってむしろ感謝しなければならないことなのではないかと気付いたのです。

患者様との出会いもそうです。

私がこの仕事をしていなければ患者様との出会いもなかったかもしれません。

一人ひとりの患者様に出会ったことへの感謝の気持ちと健康になってほしいとの願いを込めて施術を行って心も身体も健康になれば、自然と患者様にも笑顔がこぼれるようになります。

それが周りに広がり健康な人々が増えていけば、世の中ももっともっと元気で明るい社会になっていくと思います。

私は、カイロプラクティックや整体という仕事で『病気にならない・ 病気に負けない心と体づくり』のお手伝いをしたいと考えており、 人生の目的に向かって今後も実践していきたいと思っております。 

 

センジュラクあんない

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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